清原深養父

小倉百人一首 036

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ

なつのよは まだよひながら あけぬるを くものいづこに つきやどるらむ

清原深養父

読み

なつのよは まだよひながら あけぬるを くものいづこに つきやどるらむ

現代意訳

夏の夜は、まだ宵のうちだと思っているのに明けてしまったが、(こんなにも早く夜明けが来れば、月はまだ空に残っているだろうが) いったい月は雲のどの辺りに宿をとっているのだろうか。

※明けぬる / 「ぬる」は完了で、「明けてしまった」の意
※宿るらむ / 「らむ」は推量で、「(雲のどの辺りに)宿をとっているのだろう(隠れているのだろう)

季節



出典

「古今和歌集」

解説
清原深養父(きよはらのふかやぶ・生没年不明)は清少納言の父・清原元輔の祖父にあたる人です。

清原深養父の和歌は「古今和歌集」などに伝えられていて、延長八年(930年)従五位下を賜っています。
中納言兼輔紀貫之などとも交流があり、琴の名手だったとも言われています。
晩年は、京都大原の近くに補堕落(ふだらく)寺というお寺をたてて住んだと伝えられています。

この和歌は、清原深養父が月見をしていた夏の夜明けに読まれたようですが、夜明けが思っていたよりも早く訪れたことへの軽い驚きがよく伝わってきます。
月を擬人化しているところなど、歌におもしろさがあり、おおらかな印象を与えてくれています。

一年の内でもっとも昼が長く、夜が短いのが「夏至」ですが、その頃の月は、「夜が短く、西の山に沈む間もないほどなので、きっと雲の間に隠れているのだろう」と、機知にとんだ表現の中にも、月の美しさを惜しむ気持ちが伝わってきます。

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