清少納言

小倉百人一首 062

夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢阪の 関はゆるさじ

よをこめて とりのそらねは はかるとも よにあふさかの せきはゆるさじ

清少納言

読み

よをこめて とりのそらねは はかるとも よにあふさかの せきはゆるさじ

現代意訳

夜の明けないうちに、鶏の鳴き声を真似て夜が明けたとだまそうとしても、(あの中国の函谷関ならいざ知らず、あなたとわたしの間にある) この逢坂(おおさか)の関は、決して開くことはありません。

※夜をこめて / 夜の深いうち
※はかるとも / あざむくこと
※逢坂の関 / 近江国と山城国の間にある関

季節

-

出典

「後拾遺集」

解説
清少納言 (せいしょうなごん / 生没年不明) は清原元輔(きよはらのもとすけ)の娘で、清原深養父の孫にあたります。
「清」は清原の姓を表わし、「少納言」は宮中での呼び名を表わしていますが、清少納言は小さい頃から父について和歌や漢文を学び、一条天皇の皇后 定子さまに仕えながら「枕草子」を著したことで知られています。
また、「後撰集」の撰者にもなっています。

清少納言が詠んだこの歌は、親しい間柄であった藤原行成との間でやり取りされたものだと伝えられています。
中国の故事にある 函谷関(かんこくかん)の話を引用した和歌ですが、国境の関所・函谷関では、一番鶏の鳴き声を合図に門を開けていたので、敵方はこの声を真似て、夜中の内に門を開けさせた伝えられています。

この逸話を用いながら、「逢坂」には「互いに行き交うこと」がかけられていて、「ゆるさじ」によって、「逢いに来ることは許されない」という意味が込められています。

ところで、少し長くなりますが、「後拾遺集」の詞書には、「大納言行成、物語などし侍りけるに、内の御物忌にこもればと、いそぎ帰りて、つとめて、鳥の声にもよほされて、といひおこせて侍りければ、夜深かけりかる鳥の声は函谷関のことにや、といひつかほしたりけるを、たちかえり、これは逢坂の関 に侍る、とあればよみ侍りけり」とあります。

その事から、二人が夜更けまで話し込んでいると、「明日は宮中の物忌みがあるので」といって、行成はあわてて帰ってしまいます。
翌朝、「鳥の声が聞こえたので、早々と帰りました」と便りが届けましたが、清少納言は、これに対して「(まだ夜も開けていないので、)それは函谷関のことですね」と返信しました。

行成は、「関は関でも、(あなたに会うための)逢坂の関ですよ」と返してきたので、更に応えたのが、この「夜を込めて~」の和歌です。

その様な背景を考えると、「もう会いませんよ」と言っていますが、これは仲のよい二人のやり取りであることが分かります。

いずれにしても、清少納言は、漢文や中国の故事にも通じていて、「枕草子」も、すぐれた作品と評価されています。

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