左京大夫道雅
小倉百人一首 063 |
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな |
いまはただ おもひたえなむ とばかりを ひとづてならで いふよしもがな |
左京大夫道雅 |
読み いまはただ おもひたえなむ とばかりを ひとづてならで いふよしもがな 現代意訳 今はもう、あなたのことはきっぱりと思い切ってしまおうと決めましたが、そのことだけを人づてでなく、直接あなたに伝える方法があればいいのですが。 ※思ひ絶えなむ / 思い切る。 ※いふよしもがな / 「よし」は「方法」、「もがな」は願望を表す語 季節 - 出典 「後拾遺集」 解説 左京大夫道雅 (さきょうのだいぶみちまさ・正暦3年~天喜2年 / 992~1054年) は、藤原伊周(ふじわらのこれちか・一条天皇の皇后 定子の兄)の子どもで、母は大納言・源重光の娘です。 従三位左京大夫まで任ぜられています。 この和歌も恋の和歌のひとつですが、道雅は皇女・当子内親王の元へ通っていましたが、公の知るところとなり、逢うことができなくなってしまい、この歌はそのときの気持ちを詠んだものです。 「きっぱりと思い切りたい」のですが、「直接伝えたい(逢いたい)」という強い気持ちが残っていて、道雅の思い切れない心がよく表れています。 「栄華物語」などに、その一件が記されていますが、当子内親王は伊勢神宮に使える「斎宮」でした。 斎宮は恋することなどを禁じられていましたが、内親王は、この時には既に都に帰っていて、その役を終えていました。 しかし、父である三条院の知るところになり、二人の仲は裂かれることになり、その時にこの和歌が詠まれたと言われています。 |
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