中納言兼輔

小倉百人一首 027

みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ

みかのはら わきてながるる いづみがは いつみきとてか こひしかるらむ

中納言兼輔

読み

みかのはら わきてながるる いづみがは いつみきとてか こひしかるらむ

現代意訳

みかの原を湧き出て流れる泉川よ、(その「いつ」という言葉ではないが) その人をいつ見たといっては、恋しく思ってしまう。本当は一度たりとも見たこともないのに。

※みかの原 / 京都府を流れる木津川の北岸あたり。聖武天皇が一時この地へ遷都し、恭仁京(くにきょう)がおかれた
※恋しかるらむ / 「らむ」は推量を表す

季節

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出典

「新古今和歌集」

解説
中納言兼輔(ちゅうなごんかねすけ・元慶元年~承平3年 /877~933年)は藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)のことで、屋敷が賀茂川の堤にあったことから、堤中納言ともよばれました。

平安初期の歌人で、藤原冬嗣の孫、利基の六男にあたります。
延長八年に中納言となり、 和歌にすぐれ、紀貫之などの歌人とも 親しく交際するなど、藤原公任が選んだ三十六歌仙のひとりでもあります。
中納言兼輔の和歌は、勅撰和歌集などに数多く伝えられています。

都で若狭守の姫の噂がしきりとされていた頃、兼輔もその噂を聞いて「是非とも会ってみたい」と思い、この和歌が詠まれたと言われています。
「いづみ川」を「いつ見」に、水が「湧きて」を、みかの腹を「分けて」にかけているなど、巧みなつくりになっています。

平安当時の貴族の女性は、人前で顔を見せることはなく、男性は、「あの人はとても美しいらしい」というような噂を聞いて、ただ想像するばかりだったようです。
そのように、兼輔も噂を聞いて恋心を募らせていくのですが、水が沸き出て流れる様子を詠むことによって、その想いが強くなっていくことをうまく表しています。

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