藤原実方朝臣
小倉百人一首 051 |
かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを |
かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆるおもひを |
藤原実方朝臣 |
読み かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆるおもひを 現代意訳 これほどまで、あなたを思っているということさえ打ち明けることができずにいるのですから、ましてや伊吹山のさしも草(ヨモギ)が燃えるように、私の思いもこんなに激しく燃えているとは、あなたは決して知らないことでしょう。 ※かくとだに / 「かく」は「このように」、「だに」は「~すら」という意。 ※えやはいぶきの / 「えやは」は反語。ここでは、「言うことができようか。いや、できない」のような意味 ※さしも草 / ヨモギのことで薬草などにも用いられた ※さしも知らじな / 「さ」は「そのように」の意。「し」は間投詞で、「も」は強調の語 季節 - 出典 「後拾遺集」 解説 藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん・生年不明~長徳4年 / ?~998年)は貞信公の曾孫にあたる人物で、通称「実方の中将」と呼ばれていました。 左近中将にまで任ぜられていましたが、御所で藤原行成といさかいを起こし、その冠を地に投げ捨てた罪で一条天皇の勘気にふれ、陸奥守に任ぜられ、その地で亡くなったと伝えられています。 しかし、藤原公任や重之、 道信などとも親しく、歌人としても有名な人物でした。 藤原実方朝臣は清少納言の恋人でしたが、彼女に負けないほどの和歌を詠みたいと思い、 この和歌をつくったと言われています。 「思ひ」の「ひ」は「(燃ゆる)火」にかけていますが、「言う」と「いぷき(伊吹)」、「さしも草(もぐさ)」と「さしも知らじな」など、巧みなつくりで、恋心が詠まれています。 また、伊吹山は下野(現・岐阜県)、近江(現・滋賀県)のふたつの説がありますが、どちらもヨモギの名産地と言われています。 ヨモギは、今も草餅などをつくるときに用いられていますが、お灸となる「もぐさ」の原料にもなっています。 それで「さしも草が燃えるように」と詠まれていて、この辺りもうまいつくりになっています。 |
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