藤原義孝
小倉百人一首 050 |
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな |
きみがため をしからざりし いのちさへ ながくもがなと おもひけるかな |
藤原義孝 |
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読み きみがため をしからざりし いのちさへ ながくもがなと おもひけるかな 現代意訳 あなたに会うためなら惜しいとは思わなかった私の命ですが、こうしてあなたと会うことができた今は、いつまでも生きていたいと思っています。 ※長くもがなと / 「もがな」は願望を表している 季節 - 出典 「後拾遺集」 解説 藤原義孝(ふじわらのよしたか・天暦8年~天延2年 / 954~974年)は謙徳公 一条摂政伊尹の三男で、和歌の天才と呼ばれましたが、残念なことに天然痘にかかり、二十一歳で亡くなりました。 仏教への信仰心が篤かったと伝えられていますが、能筆家で有名な藤原行成は、藤原義孝の子どもになります。 この和歌は恋心を詠んだものですが、素直な気持ちを飾りのない形で詠んでいて、爽やかでもある若い義孝の気持ちがよく伝わってきます。 「後拾遺集」の詞書には、「女のもとより帰りて遣はしける」とあるので、女性に逢った後に贈った歌であることが分かります。 夜に女性に逢ったあくる朝などに贈る歌を「後朝(きぬぎぬ)の歌」といい、この和歌も後朝の歌になっています。 |
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