藤原興風

小倉百人一首 034

誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに

たれをかも しるひとにせむ たかさごの まつもむかしの ともならなくに

藤原興風

読み

たれをかも しるひとにせむ たかさごの まつもむかしの ともならなくに

現代意訳

(友達は次々と亡くなってしまったが) これから誰を友とすればいいのだろう。馴染みあるこの高砂の松でさえ、昔からの友ではないのだから。

※誰をかも / 「か」は疑問、「も」は強調の語で、「誰をいったい」というような意
※知る人にせむ / 「知る人」は「親しい人・友人」。「せむ」は「す」に意思を表す「む」がついたもの
※高砂 / 兵庫県高砂市。住吉の松と並び、松の名所として知られている。

季節

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出典

「古今集」

解説
藤原興風(ふじわらのおきかぜ・生没年不明)は藤原浜成のひ孫にあたり、藤原公任が優れた歌人として取り上げた三十六歌仙のひとりとして上げられています。
興風は昌泰3年(900年)に相模掾、延喜十四年(914年)に下総大掾に任命されています。
藤原興風は紀貫之凡河内躬恒らと共に優れた歌人で、日本最古の歌論である『歌経標識』を残しています。

この和歌は、ある日友達をなくした興風が、その悲しみを込めて詠ったものだと伝えられていますが、その気持ちがよく伝わってきます。

「高砂の松」はめでたいもの、また長寿の象徴とされるものですが、この松を詠み込むことによって、(共に生きてきた)その松でさえ、心を通わすことができないというような、孤独で寂しい気持ちが、いっそう強調されています。

平安当時の人の平均寿命は短く、40才を過ぎると「長者」とされていました。
その後、10才年を取るごとに長寿のお祝いをしましたが、この和歌では、長寿の喜びではなく、友達が亡くなり、独りになっていくことの哀しみが詠まれていて、素直な心情が伝わってきます。

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