在原業平朝臣

小倉百人一首 017

ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

ちはやぶる かみよもきかず たつたがは からくれなゐに みづくくるとは

在原業平朝臣

読み

ちはやぶる かみよもきかず たつたがは からくれなゐに みづくくるとは

現代意訳

(川面に紅葉が流れていますが)神代の時代にさえこんなことは聞いたことがありません。竜田川一面に紅葉が散りしいて、流れる水を鮮やかな紅の色に染めあげるなどということは。

※ちはやぶる / 「神」の枕詞
※竜田川 / 奈良の「龍田神社」の脇を流れる川で、紅葉の名称として知られている
※からくれなゐ / 唐(中国)から伝えられた鮮やかな赤色

季節



出典

「古今集」

解説
在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん・天長2年~元慶4年 / 825~880年)は「在五中将」などともよばれ、兄の行平と共に平安時代を代表する歌人です。
紀貫之が選んだ六歌仙のひとりとして、また、藤原公任の選んだ三十六歌仙のひとりとしても名前が挙げられている素晴らしい歌人です

平城天皇の皇子、阿保親王の第五子で、『伊勢物語』の主人公のモデルだとも言われています。
藤原氏の権力のため生涯不遇でしたが、「古今」、「後撰」、「拾遺」、「新古今」など、多くの勅撰集に和歌が残されています。

ある時、業平は清和天皇の女御の高子様に招かれてお屋敷を訪ねましたが、(高子様は天皇にお仕えする前に業平と愛し合っていたので) 「屏風にわたしたちの恋を和歌にして書いてください」と願われて、この和歌をつくったと伝えられています。

在原業平の心内が見えるような見事な和歌ですが、「古今集」では、屏風に描かれた竜田川の秋の情景を見ながら、この歌を詠んだとされています。
当時は、屏風に描かれた絵の良さを和歌で詠むことが風流でもあり、その様な和歌は屏風歌と呼ばれています。

「水くくる」の「くくる」は「くくり染め」のことで、紅葉が、水面に鮮やかな模様を描いている様が目に見えるようです。

一方、「くくる」を「潜る」と詠むと、川面一面の紅葉の下を水が流れている様子となりますが、いずれにしても、鮮やかな秋の情景が見えるようです。

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