中納言行平
小倉百人一首 016 |
立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む |
たちわかれ いなぱのやまの みねにおふる まつとしきかば いまかへりこむ |
中納言行平 |
読み たちわかれ いなぱのやまの みねにおふる まつとしきかば いまかへりこむ 現代意訳 あなたと別れて(因幡の国へ)行くけれども、稲葉の山の峰に生えている松のように、あなたが待っていると聞いたなら、すぐにも都に帰ってまいりましょう。 ※立ち別れ / 「立ち」は強調の語 ※いなばの山 / 因幡の国(鳥取県)、或いは、因幡の国の稲葉山 季節 - 出典 「古今集」 解説 中納言行平とは平安初期の貴族・在原行平(ありわらのゆきひら・弘仁9年~寛平5年 / 818~893年)のことで、阿保親王(平城天皇の皇子)の第二子で、在原業平の兄にあたります。 勅撰歌人として「古今和歌集」に優れた和歌を残し、業平と共に文学に優れた才能を示しました。 また、太宰権師となって官僚としても功績をあげ、 中納言から正三位民部卿にまで上りましたが、藤原氏の勧学院にならって、一門の学問所・奨学院なども創設しています。 一方、行平は後年、須磨に流されたとも言われていて、「源氏物語」の「須磨」のモデルだとも言われています。 謡曲「松風」では、須磨にある行平は松風と村雨という姉妹を愛するという物語になっています。 行平は、三十八歳のとき因幡の国(鳥取県)の国司に任命されましたが、この和歌は、その時に別れを惜しんで恋人に贈った和歌だと言われています。 「いなばの山」は「因幡の国の山」、或いは稲葉の国の「稲葉山」を指しているとも言われていますが、稲葉山は、松の木が多いことでよく知られていました。 「まつとし聞かば」の「まつ」は、稲葉山の「松」と、都で「待つ」のふたつの意味をかけていて、自然の情景と出立する素直な心内を、機知のある表現で詠んでいます。 また、「いなばの山」は「往なば」とも詠むことができ、これから「稲葉の国へ向かう」との意味も込められているようです。 |
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