小倉百人一首 097 |
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ |
こぬひとを まつほのうらの ゆふなぎに やくやもしほの みもこがれつつ |
権中納言定家 |
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解説
権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ・応保2年~仁冶2年 / 1162~1241年)は藤原俊成の子どもで、十四歳で高倉天皇に仕え、正二位権中納言にまでのぼっています。 平安末期を代表する優れた歌人で、「新古今集」や「新勅撰集」、また「百人一首」の撰者でもあり、よく知られている人物です。 才能にめぐまれ、藤原家隆とならんで歌の世界に大きな影響を与えたほか、古典文学を写した書物も多く残しています。 定家は「百人一首」のうち九十九首まで選びました。しかし自分の和歌が決まらないので、ある女性の薦めから、 この和歌が選ばれたと伝えられています。 ところで、この歌は女性の立場から恋心を詠んでいますが、浜辺に燃える藻塩の炎に例え、焦がれる気持ちをうまく表しています。 また、「松帆の浦」は「松」と「待つ」をかけているなど、歌のつくりも巧みです。 読み こぬひとを まつほのうらの ゆふなぎに やくやもしほの みもこがれつつ 季節 - 現代意訳 どれほど待っても来ない人を待ち焦がれているのは、松帆の浦の夕凪のころに焼かれる藻塩のように、わが身も恋い焦がれて苦しいものだ。 ※まつほの浦の / 「松帆の浦」は、兵庫県・淡路島の北端の浜辺 ※藻塩 / 塩分を多く含ませるため、塩水をかけた海草を干して、それを焼いたのち水に溶かし、その上澄みを更に煮詰めて取り出した塩のこと ※身もこがれつつ / 「こがれつつ」は「我が身」と「藻塩」が焦げるのをかけている 出典 「新勅撰集」 |