入道前太政大臣
小倉百人一首 096 |
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり |
はなさそふ あらしのにはの ゆきならで ふりゆくものは わがみなりけり |
入道前太政大臣 |
読み はなさそふ あらしのにはの ゆきならで ふりゆくものは わがみなりけり 現代意訳 (降っているのは) 嵐が庭に散らしている花吹雪ではなくて、降っているのは、実は歳をとっていくわが身なのだなぁ。 ※雪ならで / 「雪」は、散ってしまい地面に積もった桜を指している。「で」は打消しの語 季節 春 出典 「新勅撰集」 解説 入道前太政大臣(にゅうどうさきのだじょうだいじん・承安元年~寛元2年 / 1171~1244年)とは、藤原公経(ふじわらのきんつね)のことです。 坊城内大臣実宗の次男で、公経が京都北山に西園寺を建ててから、その家を代々西園寺と呼ぶようになりました。 承久三年に内大臣、貞応元年(1222年)には従一位太政大臣になるなど、当時その威勢は世に並ぶものがないほどでした。 また、定家が編んだ「新勅撰集」には、公経の歌が30首も入っているなど、歌人としても広く活躍しました。 この和歌は西園寺の山荘で詠んだものと言われていますが、散り行く桜をわが身に見立て、公経の気持ちが見事に詠まれています。 散り積もった桜を雪に例え、「ふりゆく」を「降りゆく」と「古りゆく」にかけるなど、つくりも巧みで、歳をとっていく(古りゆく)寂しさを自然の情景に中に詠み込んでいます。 その様な表現は新鮮なものではありませんが、権勢の頂点にあった公経が詠んだけに、感慨深いものに感じられる一首です。 |
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