前大僧正慈円
小倉百人一首 095 |
おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖 |
おほけなく うきよのたみに おほふかな わがたつそまに すみぞめのそで |
前大僧正慈円 |
読み おほけなく うきよのたみに おほふかな わがたつそまに すみぞめのそで 現代意訳 身のほど知らずと言われるかもしれないが、(この悲しみに満ちた) 世の中の人々の上に、墨染の袖を被いかけよう。 (比叡山に出家したわたしが平穏を願って) ※おほけなく / 身分不相応ながら ※わがたつ杣 / 「杣(そま)」とは、材木をとるための山、或いは切り出した材木などのことだが、ここでは比叡山を指している ※墨染の袖 / 僧侶が着ている黒い衣 季節 - 出典 「千載集」 解説 前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん・久寿2年~嘉禄元年 / 1155~1225年)は関白 藤原忠通の六男で、九条基房、兼実の弟にあたる人物です。 十一才で延暦寺座主 覚快法親王の弟子となり、建久三年(1192年)、三十八才で天台宗座主になっています。 藤原良経や定家らとも親交があり、後鳥羽院歌壇では、和歌所寄人に選ばれています。 この和歌は、慈円が若いころ木曽義仲が都に攻め入ってきましたが、このとき疫病などで苦しむ民を見て、仏の力でこれを救おうと思って詠まれた歌だと伝えられています。 他の和歌には見られないもので、僧侶である慈円の優しさと共に、その強い決意が表れている見事な和歌です。 また、「墨染」には「住み初め」が掛かっていて、「おほけなく」も謙虚な表現で、歌全体の調子をやわらかなものにしています。 「わがたつ杣 」は、最澄が比叡山・根本中堂を建立したときに詠まれたとされる表現ですが、慈円大師の仏教へ帰依する心が表れてもいるようです。 |
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