皇太后宮大夫俊成
小倉百人一首 083 |
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる |
よのなかよ みちこそなけれ おもひいる やまのおくにも しかぞなくなる |
皇太后宮大夫俊成 |
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読み よのなかよ みちこそなけれ おもひいる やまのおくにも しかぞなくなる 現代意訳 世の中というものは逃れる道がないものだ。(この山奥に逃れてきたものの) この山奥でも、(辛いことがあったのか) 鹿が鳴いているではないか。 ※思ひ入る / 思い込むこと 季節 - 出典 「千載集」 解説 皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり・承久2年~元久元年 / 1114~1204年)とは、藤原俊成(しゅんぜい/としなり)のことで、藤原定家の父になります。 後白河院の后で、皇太后と呼ばれた人につかえ、後に正三位に任ぜられています。 また、文治三年(1187年)には、後白河上皇の命により「千載集」を撰集ましたが、多くの歌会の判者を務めたほか、式子内親王のために「古来風体抄」という歌を論じた書も残しています。 この和歌は、弟のように思っていた佐藤義清(さとうのりきよ / 西行法師)が出家したと聞いたときにつくったものだと伝えられています。 「思ひ入る」の「入る」は、山に「入る」にかかっているなど、つくりも巧みですが、「哀しい声」とされてた鹿の鳴く声を詠み込むことで、逃れてきた山の中でさえ、その哀しい声が聞こえ、より深い哀しみが漂っています。 ところで、思いつめて山の中に入るということは、出家しようと考えていたようで、平安末期の騒乱や友人の出家などが原因になっていたようです。 しかし、哀しく鳴く鹿の声を聞くと、山の中であっても、つらい世の中からは逃れられないという、厳しい現実が伝わってきます。 |
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