西行法師

小倉百人一首 086

嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな

なげけとて つきやはものを おもはする かこちがほなる わがなみだかな

西行法師

読み

なげけとて つきやはものを おもはする かこちがほなる わがなみだかな

現代意訳

嘆き悲しめと月はわたしに物思いをさせるのだろうか。 いや、そうではあるまい。本当は恋の悩みの所為なのに、まるで月の仕業であるかのように流れるわたしの涙ではないか。

※月やは物を / 「やは」は反語で、「月が物思いをさせるのだろか、いや、そうではない」という意味
※かこち顔なる / 「かこつ」は「かこつける」、「ほかのものの所為にする」

季節

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出典

「千載集」

解説
西行法師(さいぎょうほうし・元永元年~文冶6年 / 1118~1190年)は鳥羽院に仕えていた武士としてよく知られている人物で、俗名を佐藤義清(のりきよ)といいます。
左兵衛尉となりましたが、保延六年(1140年)二十三才で出家し、東北や四国など、全国を旅して和歌を詠んでいます。
藤原俊成などとも親交があり、優れた歌人として賞賛されました。

まだ、西行が武士として上皇の御所を守っていた頃、中宮のことを好きになりましたが、この和歌は、出家した後も中宮の夢を見たことからつくったと言われています。
流れる涙を月の所為にせずにはいられないという、定まらぬ気持ちを巧みに表しています。

ところで、西行法師は、月と桜を愛し、これを題材にした和歌を数多く残しています。
また、晩年には「願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月(きさらぎ)の 望月のころ」(できることなら、満開の桜の下で、春に死にたいものだ。二月の満月のころに)と詠んでいますが、その願いが届いたのか、この歌のとおり、二月十六日、七十三歳で亡くなっています。

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