相模
小倉百人一首 065 |
恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ |
うらみわび ほさぬそでだに あるものを こひにくちなむ なこそをしけれ |
相模 |
読み うらみわび ほさぬそでだに あるものを こひにくちなむ なこそをしけれ 現代意訳 あなたの冷たさを恨み、流す涙で乾くひまさえもない袖が(朽ちてしまうことでさえ)口惜いのに、この恋のために、(つまらぬ噂で) わたしの名が落ちてしまうのは、なんとも口惜しいことです。 ※恨みわび / 「わぶ」は「悲しむ」の意 ※ほさぬ袖 / 「干さない袖」は、所謂「涙に濡れたままの袖」 季節 - 出典 「後拾遺集」 解説 相模 (さがみ・生没年不明) は平安時代後期の歌人で、後冷泉天皇の頃、相模守 大江公資の妻となり、相模と呼ばれるようになりました。 しかし、後に離婚して、一条天皇の皇女に仕えました。 相模は当代では赤染衛門と並び称される、一流の女流歌人として名を知られていて、「後拾遺集」には、和泉式部についで多くの和歌が残されています。 この和歌は、永承6年の宮中での歌合せのときに詠まれたもので、評判を得たと言われています。 「(涙で濡れる)袖」と「(我が)名」の軽重を比べることで、気持ちの深さをうまく詠み表しています。 しかし、この和歌は、「(涙で濡れる)袖さえ朽ちていないのに(あるものを)、我が名は朽ちてしまう」とも解釈することができるとも言われています。 ところで、相模の母は能登守慶滋保章の娘ですが、実父ははっきりとは分かっていません。 源頼光の養女とも言われていますが、頼光は大江山の鬼退治などで名をはせた武人である一方、歌人としても『拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に3首の和歌が選ばれています。 |
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