小式部内侍
小倉百人一首 060 |
大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立 |
おほえやま いくののみちの とほければ まだふみもみず あまのはしだて |
小式部内侍 |
読み おほえやま いくののみちの とほければ まだふみもみず あまのはしだて 現代意訳 (母のいる丹後の国へは) 大江山を越え、生野を通って行かなければならない遠い道なので、まだ天橋立へは行ったことがありません。 (ですから、そこに住む母からの手紙など、まだ見ようはずもありません) ※大江山 / 丹波国にある山(現・京都府右京区) ※いく野 / 丹波国の生野(現・京都府福知山市) ※ふみもみず / 「踏んだことがない」の意だが、「橋」の縁語になっているほか、「文を見ていない」の意味も含まれている ※天の橋立 / 京都府宮津市にある景勝地 季節 - 出典 「金葉集」 解説 小式部内侍 (こしきぶのないし・生年不明~万寿2年 / ?~1025年) は橘道貞と和泉式部の娘で、 母とともに一条天皇の中宮 上東門院彰子さまに仕え、小式部と呼ばれました。 関白 教通(のりみち)や頭中将 公成(きみなり)らに愛され、その人たちの子どもを産みましたが、母に先立ち、二十五歳の若さで亡くなっています。 この和歌は、母の和泉式部が丹後の国にいた時のものです。 小式部内侍も、母である和泉式部に劣らないほどの優れた歌人であったのですが、小式部内侍が歌合せに選ばれたとき、「母に手伝ってもらって和歌をつくればいかがですか」という権中納言 定頼に対して、この和歌を詠んだと伝えられています。 「いく野」と「行く」、「踏み」と「文」をかけているなど、歌のつくりも巧みで、歌人としての力量が窺えます。 即興で詠まれた和歌ですが、枕詞や掛け詞が見事に使われていて、居合わせた人たちも、その技量に感嘆したと伝えられています。 ところで、小式部内侍をからかった定頼のことが訝われますが、一説では、「小式部内侍の技量を示すため、居合わせる人の前で歌をつくるようにたくらんだ」とも云われています。 その真偽のほどは分かりませんが、この和歌自体は見事なつくりで、母にも勝らずとも劣らないものだと言えます。 |
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