権中納言敦忠

小倉百人一首 043

逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり

あひみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもはざりけり

権中納言敦忠

読み

あひみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもはざりけり

現代意訳

このようにあなたに逢ってからの今の苦しい恋心にくらべると、逢いたいと思っていた昔の恋心の苦しみなどは、何も物思いなどしなかったも同じようなものです。

季節

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出典

「拾遺集」

解説
権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ・延喜6年~天慶6年 / 906~943年)は醍醐、朱雀の両朝に仕えた左大臣・藤原時平の三男で、藤原敦忠(ふじわらのあつただ)のことです。

敦忠は和歌に優れ、三十六歌仙のひとりとして藤原公任が挙げていますが、源博通と並び琵琶の名手であったとも伝えられています。
「後撰和歌集」などに多くの和歌が残されていて、蔵人頭、参議を経て、九四二年、従三位中納言になっています。

敦忠は右近と愛し合っていましたが、この和歌は、その右近への思いを詠んだものとも言われています。
恋心がさらりと詠まれていますが、逢う前と逢った後の物思い、それが、この和歌にさまざまな余情を与えています。

ところで、敦忠は三十八歳という若さで亡くなっています。
当時は四十歳で「長者」と言われているので、今から思うよりも年長だったようですが、父の左大臣・藤原時平は菅原道真を大宰府に追いやった人物とされていで、敦忠が亡くなったのは、「道真の祟りだ」と恐れられました。

また、敦忠は「右近との約束を破ったから亡くなった」などとも噂されました。

いずれにしても、優れた詠み人で、「敦忠集」などが残されています。

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