中納言家持

小倉百人一首 006

鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける

かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける

中納言家持

読み

かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける

現代意訳

かささぎが渡したという天上の橋のように見える宮中の階段であるが、その上に降りた真っ白い霜を見ると、夜も随分と更けたのだなあ。

※ 鵲(かささぎ) / カラス科の鳥で、全長45cm程度。羽毛の色は白と黒に分かれる
※ 置く霜 / 地面(この場合は宮中の階段)に降りている霜
※ 夜ぞ / 「ぞ」は強調の語で、「夜はまさに」の意味

季節



出典

「新古今集」

解説
「万葉集」の編者の一人でもある中納言家持(養老2年~延暦4年 / 718~785年) は、大伴旅人の子どもで、大伴家持(おおとものやかもち)といいます。

大伴家持は元来武人として朝廷に仕える高い家柄で、家持も天平十八年(746年)、越中の守に任ぜられました。
また、家持は歌人としても優れていて、藤原公任が選んだ三十六歌仙のひとりとしても数えられています。
長歌や短歌など、数多くの歌が「万葉集」にも伝わっていて、長歌46首、短歌431首、その他3首が残っています。

恒武天皇の時代、延暦元年(782年)に、氷上川継の叛の関係を疑われ宮位を除かれましたが、すぐに復し、中納言兼東宮大夫持節征夷将軍となり、陸奥で亡くなったと伝えられています。

この和歌にある「かささぎの渡せる橋」とは、七夕の夜、天の川にかかる橋のことで、「多くのかささぎが翼を重ね、一年に一度、天の川に橋をかけ、織姫を彦星の元に渡らせる」という伝説からきています。
その後、宮中にある御殿と御殿とを結ぶ橋や階段などを、天上に例えて「かささぎの橋」と呼ぶようになりました。

この歌は、大伴家持が冬の宮中で宿直(とのい)をしているとき、降りた霜を見て詠んだのだろうと言われています。
まさに冬の夜の静けさが伝わってくるようですが、白い霜の美しさと、夜空に輝く満天の星との対比に加え、かささぎが渡すという天上の橋の物語が、この歌に一層のロマンを与えています。

また、飛んでいるかささぎを見上げると、お腹の白い部分が目立つので、その白さを霜の白さと対比さていることなども窺うことができます。

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