阿倍仲麻呂

小倉百人一首 007

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも

あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも

阿倍仲麻呂

読み

あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも

現代意訳


広い空を振り仰いで眺めると、美しい月が出ているが、あの月はきっと故郷である春日の三笠の山に出た月と同じ月だろう。(ああ、本当に恋しいことだなあ)

※ 天の原 /「原」は広々とした場所。この場合は広い空のこと
※ 三笠の山 / 奈良市春日大社の後ろにある春日山の一峰

季節

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出典

「古今集」

解説
阿部仲麻呂(あべのなかまろ/大宝元年~宝亀元年 / 701~770年)は大和の国に生まれ、若くして優れた学才を現し、仲麻呂十六才の時に遣唐使・多治比県守に従って、留学生として唐に渡りました。
唐では「朝衡/晁衡(ちょうこう)」と名乗ったと伝えられていて、三十年近く滞在しました。

玄宗皇帝に仕え、李白や王維らの著名人と交際し、文名が高かったと伝えられていますが、仲麻呂が五十一歳の時、宗皇帝に帰国を願い出て帰路に着きます。
しかし、その途中で嵐にあい、安南に辿り着きました。
阿部仲麻呂は後に再び長安に帰り、唐の地で亡くなっています。

この和歌もよく知られているもののひとつですが、仲麻呂の帰国を祝って、明州(現・ニンポー)の町で宴会が開かれた時に詠まれたものだと伝えられています。

広い夜空の情景に浮かんだ月を介して、仲麻呂の故郷への思いがとてもよく表現されていて、唐の地と、遠く離れた故郷の春日の地が、まるでひとつの空間の中にあるようです。

この歌は、藤原公任(きんとう)の「和漢朗詠集」などにも収録されていて、自然の情景と人の情念が見事に詠まれた秀歌とも言われています。

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