壬生忠岑

小倉百人一首 030

有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし

ありあけの  つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし

壬生忠岑

解説
 壬生忠岑(みぶのただみね・生没年不明)は平安前期の代表歌人で、従五位下・安綱の子どもと伝えられています。
 壬生忠岑は『古今集』の選者のひとりで、藤原公任が選んだ三十六歌仙のひとりとしても知られていて、勅撰集にも81首が取り上げられています。
 また、忠岑の子どもである壬生忠見も和歌に優れ、こちらも、三十六歌仙のひとりに上げられています。

 壬生忠岑には思いを寄せる女性がいましたが、その女性はほかの人と結婚してしまいました。
 この和歌はその思いを詠ったものと伝えられていますが、 『百人一首』を選んだ藤原定家も、忠岑のこの和歌をほめています。

 ところで、「つれなく見えし」は、何にかかっているのか気になります。
 「月」ならば、「別れを惜しむふたりの上に、つれなく有明の月がかかっている」ということになり、「恋人」なら、「別れるときのあなたはつれないものでしたが (或いは、あなたはつれなく会ってくれなかったが) 、それを有明の月が(無常に)見ていた」というような意味になります。


読み
 ありあけの  つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし

季節
 -

現代意訳
 あなたと別れたあの時も、有明の月が残っていましたが、(別れの時のあなたはその有明の月のようにつれないものでしたが) あなたと別れてからというもの、今でも有明の月がかかる夜明けほどつらいものはありません。

 ※有明の月 / 夜明けになっても空に残っている月

出典
 「古今和歌集」