大江千里
小倉百人一首 023 |
月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど |
つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わがみひとつの あきにはあらねど |
大江千里 |
読み つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わがみひとつの あきにはあらねど 現代意訳 秋の月を眺めてていると、様々と思い起こされもの悲しいことです。秋はわたしひとりだけにやって来たのではないのですが…。 ※ちぢに・・・いろいろ、様々にという意味 季節 秋 出典 「古今和歌集」 解説 大江千里(おおえのちさと/生没年不明)は平安時代初期、宇多天皇の頃の漢学者で、参議・大江音人の子どもです。 歌人として有名な在原業平、 行平は大江千里の叔父にあたるといわれています。 元慶三年・兵部大丞になっていますが、師の菅原是善と共に「貞観格式」を共撰したりしています。 また、大江千里の和歌は「古今和歌集」に10首、勅撰和歌集などに25首が伝わっているほか、寛平6年、自分の歌を集めた「句題和歌(大江千里集)」を宇多天皇に献上しています。 この和歌は自然の情景を詠んだものですが、秋の夜のもの寂しさがとてもよく伝わってきます。 「月」と「わが身」、「ちぢ(千々)」と「ひとつ」を対比させているつくりも巧みで、秋を代表する和歌として、長く親しまれている歌のひとつです。 また、この和歌は、「燕子楼中 霜月の夜 秋来たって 只一人のために長し (えんしろうちゅう そうげつのよる あききたって ただひとりのためにながし)」という白楽天の漢詩を元にしていると云われています。 漢詩の大意は、「秋の夜は、ただ私一人だけのための長い」というような意味で、夫に先立たれた女性の寂しさを詠んだものとされていますが、大江千里が漢詩によく通じていたことも窺えます。 |
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