山部赤人
小倉百人一首 004 |
田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士のたかねに 雪は降りつつ |
たごのうらに うちいでてみれば しろたへの ふじのたかねに ゆきはふりつつ |
山部赤人 |
読み
たごのうらに うちいでてみれば しろたへの ふじのたかねに ゆきはふりつつ 現代意訳 田子の浦の海岸に出てみると、雪をかぶったまっ白な富士の山が見事に見えるが、その高い峰には、今もしきりに雪がふり続けている。(あぁ、なんと素晴らしい景色なのだろう) ※ 田子の浦 / 現在の田子の浦(静岡県富士市)とは違って、静岡県由比町から蒲原町辺りにかけての海岸 ※ 白妙の / 元は「白い衣」の意。 季節 冬 出典 「新古今集」 解説 山部赤人(やまべのあかひと)は奈良時代の初めの頃の歌人で、元明、元正、聖武などの天皇に仕えました。 生没年など詳しいことは伝わっていませんが、官吏として天皇に従い、吉野や紀伊などを旅をしながら、自然を詠んだ優れた和歌をたくさん残していています。 また、柿本人麻呂と並ぶ歌人としてよく知られていて、「万葉集」にも五十首ほどの和歌が伝わっているほか、「勅撰集」にも49の歌が収められています。 山部赤人は、天皇の共をして駿河の国を旅していたとき富士山を見ましたが、このとき「帝にお見せできるような和歌をつくっておくように」と随行の人に言われ、この和歌はそのときに詠まれたものだと伝えられています。 百人一首の中でもよく知られている和歌のひとつで、自然の風情を見事に表現しています。 また、この歌の原歌は、「万葉集」にある「田児の浦 ゆうち出てて見れば 真白にぞ 不尽(ふじ)の高嶺に 雪は降りける」という和歌で、ここでは、雪が積もる雄大な富士の様子を詠っています。 しかし、「新古今集」では「降りつつ」として、やわらかな表現になっています。 いずれにしても、離れた田子の浦からでは、富士の頂に雪が降っている様子などは見えるはずもないのですが、私たちにも見えるかのように、山部赤人は見事に和歌を詠んでいます。 |
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