三条右大臣

小倉百人一首 025

名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな

なにしおはば あふさかやまの さねかづら ひとにしられで くるよしもがな

三条右大臣

読み

なにしおはば あふさかやまの さねかづら ひとにしられで くるよしもがな

現代意訳

「逢う」という名の逢坂山、「さ寝」という名のさねかずらが、その名に違わぬのであれば、逢坂山のさねかずらを手繰り寄せるように、人に知られず、あなたのもとにいく方法を知りたいものです。

※さねかずら / モクレン科のつる状の潅木で、秋に赤い実をつける。
※くるよしもがな / 「よし」は方法、「もがな」は願望を表している

季節

-

出典

「後撰和歌集」

解説
三条右大臣(さんじょううだいじん・貞観15年~承平2年 / 873~932年)とは藤原定方(ふじわらのさだかた)のことで、醍醐天皇の時の延長二年(924年)に右大臣となりました。
屋敷が京都の三条にあったことから、三条右大臣と呼ばれましたが、和歌や音曲にすぐれ、平安時代中期を代表する政治家でもありました。
三条右大臣のいくつかの和歌は、「後撰和歌集」などに伝えられているほか、中納言朝忠は、定方の子どもになります。

三条右大臣には好きな女性がいましたが、関係が公になってしまい会えなくなったことから、この和歌が詠まれたと言われています。

歌のつくりは巧みで、「逢坂山」は「会う」にかけられていて、「さねかずら」には「さ寝(男女が共に寝ること)」がかけられています。

また、「くるよしもがな」と「来る」になっていますが、これは、心が既に女性の元にあることを察することができます。

 ◀前の和歌へ  次の和歌へ▶