蝉丸
小倉百人一首 010 |
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関 |
これやこの ゆくもかへるも わかれては しるもしらぬも あふさかのせき |
蝉丸 |
読み これやこの ゆくもかへるも わかれては しるもしらぬも あふさかのせき 現代意訳 これがあの有名な、(東国へ)下って行く人も都へ帰る人も、ここで別れてはまたここで会い、知っている人も知らない人も、またここで出会うという逢坂の関なのだなあ。 ※これやこの / 詠嘆を込めた「これこそが」の意 ※あふ坂の関 / 「逢坂の関」は、山城国(京都府)と近江国(滋賀県)との境にある関で、日本三関のひとつ 季節 - 出典 「後撰集」 解説 蝉丸(せみまる)は平安時代初期の人ですが、生まれた年など、詳しいことは分かっていません。 『今昔物語』巻二十四によると、蝉丸は宇多天皇の皇子・敦実親王に仕える官位の低い官僚で、のちに逢坂山に住んだと記されています。 盲目であったとも言われていますが、和歌に優れると共に、琵琶の名手でもあったと伝えられていて、浄瑠璃や歌舞伎などでも、蝉丸を題材にしたものが伝えられています。 この和歌は、蝉丸があふ坂(逢坂)の関で互いにすれ違い別れていく人たちを見てつくった和歌だと言われていますが、人と人との出会いと別れの機微が、とてもうまく表現されています。 また、「あふ坂(逢坂)の関」の「あふ」は前の句の「別れては」にかけていて、「行く」・「帰る」、「知る」・「知らぬ」と、いずれも対になっていますが、「も」の繰り返しで、和歌全体の調子をうまく整えています。 あわただしく行き交う人々の様子に、蝉丸は人生の有り様を重ねて詠んだようにも思われる和歌で、味わい深く感じられます。 |
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