二条院讃岐

小倉百人一首 092

わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし

わがそでは しほひにみえぬ おきのいしの ひとこそしらね かわくまもなし

二条院讃岐

読み

わがそでは しほひにみえぬ おきのいしの ひとこそしらね かわくまもなし

現代意訳


わたしの袖は、潮が引いたときも水面に見えない沖にあるあの石のように、人は知らないでしょうが、(恋のために流す涙で) 乾くひまさえありません。

※潮干 / 引き潮
※人こそ知らね / 「ね」は打ち消し

季節

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出典

「千載集」

解説
二条院讃岐(にじょういんのさぬき / 永冶元年?~建保5年? / 1141?~1217年?)は源三位頼政(げんざんみよりまさ)の娘で、二条天皇に仕えて讃岐と呼ばれました。
天皇の死後、後鳥羽上皇の中宮 宜秋門院(ぎしゅうもんいん)に仕えましが、式子内親王とならぶ平安末期の女流歌人として知られている人物です。

讃岐が詠んだこの恋の和歌は、侍女と一緒に海へ行ったときに詠まれたものだと言われています。
また、「石に寄する恋」という題で詠まれたものだとも言われていますが、涙で乾く暇もない袖を、意表をつく沖の石に例えた見事な表現で詠まれています。

「潮が引いてさえも見えない沖の石」によって、その哀しみがいっそう深いものであることが伝わってきます。
二条院讃岐は、この和歌によって「沖の石の讃岐」と呼ばれたとも伝えられています。

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