右大将道綱母

小倉百人一首 053

嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る

なげきつつ ひとりぬるよの あくるまは いかにひさしき ものとかはしる

右大将道綱母

読み

なげきつつ ひとりぬるよの あくるまは いかにひさしき ものとかはしる

現代意訳


(あなたが来てくださらないことを) 嘆き哀しみながらひとりで夜をすごす私にとって、夜が明けるのがどれほど長く感じられるものか、あなたはいったいご存じなのでしょうか。

※ひとり寝る / 詠みは「ひとりぬる」となる
※久しき / 長い時間

季節

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出典

「拾遺集」

解説
右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは・承平7年頃~長徳元年頃 / 937年頃~995年頃)は伊勢守 藤原倫寧(ともやす)の娘で、藤原兼家に嫁ぎ、道綱を生みました。
右大将道綱母は日本の三美人のひとりと言われましたが、和歌や文章にも優れ、兼家との生活を回想した「蜻蛉日記」は有名です。

ところで、兼家には通う女性が何人かいたようですが、この和歌では、夫を待つしかない女性の気持ちが詠まれていて、切ない気持ちが伝わってくるようです。

「嘆きつつ」の主語はありませんが、次に続く「ひとり寝る夜の」によって、「あなたが来ないこと」であることが分かります。

「拾遺集」では、兼家が訪れた時、わざと門を閉ざして待たせたところ、兼家が「立ち疲れてしまった」といったことに応えて詠んだ歌となっています。

一方、「蜻蛉日記」では、兼家に新しい女性ができことを知ったので、兼家が訪ねてきても門を開けませんでした。
すると、兼家は別の女性のところに行ってしまったので、翌朝、色褪せた菊の花と一緒にこの和歌を贈ったことになっています。

いずれの情景を思い浮かべるにせよ、夫を待つ率直な女性の気持ちが詠まれている歌になっています。

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