恵慶法師

小倉百人一首 047

八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり

やへむぐら しげれるやどの さびしきに ひとこそみえね あきはきにけり

恵慶法師

読み

やへむぐら しげれるやどの さびしきに ひとこそみえね あきはきにけり

現代意訳

このような、幾重にも雑草の生い茂った宿は荒れて寂しく、人は誰も訪ねてはこないが、ここにも秋だけは訪れるようだ。

※むぐら「葎」 / ツルになっている雑草のこと
※宿 / 「家屋敷」のこと
※見えね / 「ね」は打ち消しの「ず」が活用したもの

季節



出典

「拾遺集」

解説
恵慶法師(えぎょうほうし・生没年不明)は平安中期の人で、優れた歌人として知られていました。
花山天皇の寛和年間(985~989年の頃、播磨国(兵庫県)の国分寺の住職だったと伝えられていて、平兼盛源重之、安法法師らの歌人と親しく交遊していたようです。

この和歌は、あるとき恵慶法師が河原左大臣 源融の別荘を訪れたとき、その屋敷の寂れた様子を見て詠んだ和歌だと言われています。
その別荘は「河原院」と呼ばれていましたが、恵慶法師の時代では、すでに100年近く経っていて、源融の曾孫・安法法師が住んでいたと言われています。

和歌自体は、打ち寂れた屋敷の情景を詠んでいますが、やって来ない「人」と、「やって来る「秋」とを対比させていて、暗い陰鬱な様子などを感じさせません。

また、安法法師自身も優れた詠み人で、河原院には多くの歌人が訪れたと伝えられています。

別荘である河原院は、源融が、現在の宮城県松島になる「塩がまの浦」を訪れたとき、その美しさを忘れらず、海から海水を運ばせ、庭にその様子を再現させたと言われるほどのもので、たいそうな評判になっていました。

その別荘も今は荒れ果ててしまい、栄華の後をしのぶようでもありますが、「秋の訪れ」を素直に詠んでいて、清々しくもあります。

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