平兼盛

小倉百人一首 040

忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで

しのぶれど いろにいでにけり わがこひは ものやおもふと ひとのとふまで

平兼盛

読み

しのぶれど いろにいでにけり わがこひは ものやおもふと ひとのとふまで

現代意訳

人に知られまいと恋しい思いを隠していたけれど、とうとう隠し切れずに顔色に出てしまったことだ。何か物思いをしているのではと、人が尋ねるほどまでに…。

※色に出にけり / 「色」は表情のこと。「けり」は詠嘆を表している

季節

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出典

「拾遺集」

解説
平兼盛(たいらのかねもり・生年不明~永祚2年 /?~990年)は三十六歌仙のひとりとして藤原公任が挙げている優れた歌人で、「後撰和歌集」より以降の勅撰和歌集に90首程の和歌が伝えられています。

天元二年(979年)に駿河守に任ぜられていますが、この和歌は、「拾遺集」の中に「天歴の御時の歌合」と詞書があるので、天徳四年の内裏歌合のときに詠まれたことが分かります。

この和歌についてのエピソードはよく知られているもので、天徳四年(960年)、村上天皇の頃に歌合せが行われた時、兼盛はこの和歌で壬生忠見の和歌と競い合いました。
忠見の和歌は次の41番で、いずれも優劣つけがたい名歌でしたが、天皇がこの歌を小さく口ずさんだので、この平兼盛の和歌が選ばれたと伝えられています。

相手に直接恋心を訴えるでもないのに、強い思いがよく伝わってくる、巧みな和歌に仕上がっています。

尚、兼盛は光孝天皇のひ孫である篤行王の三男で、はじめは兼盛王と名乗っていましたが、後に平の性を賜り、臣下に下りました。

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