陽成院

小倉百人一首 013

筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる

つくばねの みねよりおつる みなのがは こひぞつもりて ふちとなりぬる

陽成院

読み

つくばねの みねよりおつる みなのがは こひぞつもりて ふちとなりぬる

現代意訳


筑波山の峯から流れてくるみなの川も、(最初は小さなせせらぎほどだが)やがては深い淵をつくるように、私の恋もしだいに積もり、今では淵のように深いものとなってしまった。

※ 筑波峰 / 常陸の国(茨城県)にある筑波山。ふたつの峰があり、それぞれを「男体」、「女体」と呼ぶこともある
※ みなの川 / 筑波山から流れ出て、やがて桜川から霞ヶ浦にいたる。「男女川」とも書かれる
※ なりぬる / 「ぬる」は完了を表していて、「なってしまった」の意

季節

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出典

「後撰集」

解説
陽成院(ようぜいいん・貞観10年~天暦3年 / 868~949年)は清和天皇の第一皇子で、貞観十九年(877年)、十歳のときに第五十七代天皇として即位されましたが、病気などのため、わずか十五才(或いは十七才)で廃位され、皇位を孝徳天皇に譲られました。

また、百人一首・第20番を詠まれた元良親王(もとよししんのう)は陽成天皇の第一皇子ですが、退位して上皇となられた陽成院は、孝徳天皇の内親王に恋をしていたと言われていて、この和歌はその恋心を詠ったものと伝えられています。

筑波山は恋の歌に取り上げられることの多い題材ですが、この和歌では、山ではなく、そこから流れ出るみなの川を取り上げています。
その様子は、小さな恋心が、やがては大きく育っていく様のようで、自然の姿をうまく重ねた、作者の深い思いが伝わってきます。
「み」が続く音の響きも心地よく、川から淵への描写も、深くなった恋心を想起させます。

また、みなの川は、筑波山のふたつの峰、男体山と女体山から流れ出た水がひとつの流れになったもので、この川を取り上げることによっても、詠まれた和歌の意図を窺うことができそうです。

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