僧正遍昭

小倉百人一首 012

天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ

あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ をとめのすがた しばしとどめむ

僧正遍昭

解説
 僧正遍昭(そうじょうへんじょう・弘仁7年~寛平2年 / /816~890年)は、俗名を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といい、紀貫之が選んだ六歌仙のひとりに挙げられているだけでなく、藤原公任が選んだ三十六歌仙にも名前がある優れた歌人でもありました。
 桓武天皇の子どもである大納言・良岑安世の八男で、百人一首21番・素性法師は僧正遍昭の子どもでもあります。

 仁明天皇に仕え、蔵人頭、左近衛少将となりましたが、宗貞三十五歳のとき、天皇が崩御なされた時、世をはかなんで、叡山にのぼり出家しました。

 この和歌は、遍照がまだ仁明天皇に仕えていた頃、宮中で「五節の舞(毎年十一月に行われる儀式での踊り)」を見て作られたものと言われています。
 五節の舞は、かつて天武天皇が吉野に行幸していたとき、夕暮れ時に、天皇が奏でる琴の調べを聞いた天女たちが、天から舞い降り、その調べに合わせて舞を舞ったというのが起源とされています。
 この五節の舞に合わせて詠まれた歌は、美しい乙女たちが舞う姿を天女に例え、とても趣のある和歌になっています。


読み
 あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ をとめのすがた しばしとどめむ


季節
 -

現代意訳

 空吹く風よ、雲の中にあるという(天に通じる)道を吹いて閉じてくれないか。(天に帰っていく)乙女(天女)たちの姿を、しばらくここに引き留めておきたいものだから。

 ※ 天つ風 / 空を吹く風。
 ※ 雲のかよひ路 / 天女が、天上と地上を行き交う時に通るという、雲の中の路

出典
 
「古今集」