殷富門院大輔

小倉百人一首 090

見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色はかはらず

みせばやな をじまのあまの そでだにも ぬれにぞぬれし いろはかはらず

殷富門院大輔

読み

みせばやな をじまのあまの そでだにも ぬれにぞぬれし いろはかはらず

現代意訳

(涙で色が変わってしまった) わたしの袖をあなたにお見せしたいものです。あの雄島の漁夫の袖でさえ、毎日波しぶきに濡れていても、少しも変わらないものなのに。

※見せばやな / 「見せたいものだ」の意
※雄島のあまの / 「雄島」は宮城県松島にある島。「あま」は漁夫のこと

季節

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出典

「千載集」

解説
殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ・生没年不明)は従五位下 藤原信成の娘で、後白河上皇の皇女、殷富門院亮子(式子内親王の姉)に仕えました。
鎌倉初期の優れた女流歌人として知られていて、定家が撰者の「新勅撰集」でも、15首が残されています。
また、定家のほか、家隆寂蓮法師などとも親しかったと言われています。

ところで、この歌は恋の和歌ですが、「本歌取り」という技法がとられています。
「本歌取り」とは、よく知られている和歌の一部や言葉を取り入れて、自分の歌の中に読み込む技法のことです。
この殷富門院大輔の歌の本歌は、「松島や 雄島の磯に あさりせし あまの袖こそ かくは濡れしか (松島にある雄島の漁夫の袖と同じくらい、わたしの袖は涙濡れています)」という、源重之が詠んだ歌です。

この和歌を本歌としたのが、この歌で、「濡れるどころでなく、私の袖は色さえも変わってしまった」と、より強く表現していて、重之の和歌への返歌にもなっています。

また、殷富門院大輔は多くの歌合に参加していて、歌集に「殷富門院大輔集」があるほか、自身も「百首歌」などを勧進しています。

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