後徳大寺左大臣

小倉百人一首 081

ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる

ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる

後徳大寺左大臣

読み

ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる

現代意訳


ほととぎすの鳴き声が聞こえたので、その方に目をやってみたが、(その姿はもう見えず) 空には有明の月が残っているばかりであった。

※なきつるかた / 鳴いた方角、「つる」は完了を表す
※有明の月 / 夜が明けても空に残っている月

季節



出典

「千載集」

解説
後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん・保延5年~建久2年 / 1139~1191年)とは、藤原実定のことで、右大臣 藤原公能の長男です。
母は権中納言俊忠の娘で、定家のいとこになります。
文治五年(1189年)に左大臣となりましたが、祖父も徳大寺左大臣だったので後徳大寺左大臣と呼ばれました。

この和歌は、「暁にほととぎすを聞く」という題で読まれたものとされていますが、この頃の歌人は、ほととぎすの和歌を詠むために明け方までずっと待っていたと言われています。
この歌もそのようにして詠まれたものですが、「聞く」から「見る」世界へ変わり、月の印象が強く残ります。

また、ホトトギスは初夏を代表する鳥で、平安の頃も夏の訪れを告げる鳥として親しまれていました。
鳴いたかと思うと、すぐにほかの枝に飛び移り、なかなか姿を見せない鳥でもあります。
当時は、深夜から明け方にかけて、ひと声だけなく鳴く鳥と信じられていて、その声を聞いて歌を詠むのが、初夏の楽しみでもあったようです。

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