藤原基俊

小倉百人一首 075

契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり

ちぎりおきし させもがつゆを いのちにて あはれことしの あきもいぬめり

藤原基俊

読み

ちぎりおきし させもがつゆを いのちにて あはれことしの あきもいぬめり

現代意訳


あなたが約束してくださった、させも草についた恵みの露のような言葉を、命のように恃んでおりましたが、それもむなしく、今年の秋もすぎてしまうようです。

※させもが / 「させも(さしも)」は蓬(よもぎ)のこと
※いぬめり / 「いぬ」は「往ぬ」、「めり」はやわらかく断定する意

季節



出典

「千載集」

解説
藤原基俊(ふじわらのもととし・康平3年~康冶元年 / 1060~1142年)は右大臣俊家の子どもで、藤原道長の曽孫になります。
従五位下左衛門佐に任ぜられていますが、源俊頼とならぶ優れた歌人で、藤原俊成(定家の父)はその弟子にあたります。

ある時、基俊は子ども(光覚)の官職を藤原忠道に頼みましたが、それが叶えられなかったので、この和歌で再び訴えたと言われています。
秋の物哀しさと、約束が叶えられなかった哀しさを重ねていて、余情が感じられる和歌になっています。
「ヨモギの上の小さな露のような望を託していたのに」との表現も、心情をよく表していて、子どもを想う親心なども伝わってくるようです。

また、基俊の息子である光覚は、興福寺の僧侶で、法事でもある「維摩講」の講師を望んでいたようです。
講師になると、経を読むなどの役目があり、大変な名誉でもありました。

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