周防内侍

小倉百人一首 067

春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ

はるのよの ゆめばかりなる たまくらに かひなくたたむ なこそをしけれ

周防内侍

読み

はるのよの ゆめばかりなる たまくらに かひなくたたむ なこそをしけれ

現代意訳


春の夜のはかない夢のように、(僅かばかりの時間でも) あなたの腕を枕にしたりして、それでつまらない噂が立つことにでもなれば、それがまことに残念なのです。

※手枕に / この和歌では、忠家が御簾のなかに入れた腕のことを指している

季節



出典

「千載集」

解説
周防内侍 (すおうのないし・生没年不明) は平棟仲の娘で、父は周防守で、治暦元年(1065年)の頃、後冷泉院の掌侍であったところからそのように呼ばれています。
名は仲子と云い、後冷泉、後三条、白河、堀河の四朝に仕えています。
また、周防内侍は当時を代表する歌人の一人で、藤原通俊や藤原顕輔などと親交があったと伝えられています。

この和歌は、人々が二条院のもとで夜を明かしていたときに詠まれたものと伝えられていて、歌の相手は、「小倉百人一首」の編者である藤原定家の曽祖父・藤原忠家です。

夜を明かしていた周防内侍が、「枕が欲しいものです」と囁いたのを聞いた忠家が、「これを枕代わりにしてはいかがか」と、御簾(みす)の中に腕を差し入れたのを受けて、この和歌を返したと言われています。
「かひなく」に「かひな(腕)」をかけているなど、機転のきいた歌ですが、情景の浮かぶような歌になっています。

御簾は、部屋の中を別けるように掛けられた簾のようなもので、女房達と一緒にいた周防内侍は、忠家の腕枕を断ってはいますが、「あらぬ噂がたってしまうでしょう」と、やや冗談めいたようにも感じられます。
二人は親しかったと言われていることもあり、その様なやり取りがなされたのかもしれません。

また、この和歌に対して、「契りありて 春の夜ふかき 手枕を いかがかひなき 夢になすべき / (前世では)深く約束したにもかかわらず、わたしの手枕をどうして夢のように甲斐なくしてしまうのですか」と忠家が返しています。

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