儀同三司母

小倉百人一首 054

忘れじの 行末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな

わすれじの ゆくすゑまでは かたければ けふをかぎりの いのちともがな

儀同三司母

読み

わすれじの ゆくすゑまでは かたければ けふをかぎりの いのちともがな

現代意訳


いつまでも忘れまいとすることは、遠い将来まではとても難しいものですから、(あなたの心変わりを見るよりも早く) いっそのこと、今日を最後に私の命が終わって欲しいものです。

※忘れじの / 「じ」は打ち消しで、「忘れない」という意
※命ともがな / 「もがな」は願望を表していて、「と」は「命」を受けて主語であることを示している
※かたければ / 「難ければ」と書き、難しく困難なこと

季節

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出典

「新古今集」

解説
儀同三司母(ぎどうさんしのはは・生年不明~長徳2年 / ?~996年)は、従二位式部卿 高階成忠の娘で、名は貴子といいます。
和歌や漢文に優れた女性で、藤原兼家の子、道隆と結婚しています。
その後、 藤原伊周、 太宰師 隆家(だざいのそちたかいえ) 、一条天皇の皇后 定子らを出産しています。

儀同三司とは「儀三司に同じ」という意味で、三司(太政大臣、左大臣、右大臣)と同じ貴人のことを指します。
藤原伊周は准大臣の待遇だったので、その母を「儀同三司の母」と呼びました。
しかし、道隆の没落の後、伊周、隆家らは流刑にあうなど、悲しみのうちの亡くなったと言われています。

この和歌は、道隆と結婚した頃に詠まれたたもので、幸せの中にも先行きの不安を感じる心が詠まれています。

当時は一夫多妻と言われていて、女性はただ夫が通ってくるのを待つだけのようでした。
その様な中にあって、女性の心細さが伝わってくるようで、ある種、人の行く末と重ねられているようにも感じられます。

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