天智天皇

小倉百人一首 001

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ

あきのたの かりほのいほの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ

天智天皇

解説
 第三十八代の天皇、天智天皇(てんちてんのう・推古34年~天智10年/626~671年)は舒明天皇の第二皇子で、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と呼ばれた皇太子時代、中臣鎌足(なかとみのかまたり)とともに蘇我氏を減し、大化の新政を行われたことはよく知られています。
 その後、都を近江(今の滋賀県)の大津に移し、668年、天智天皇として即位されました。
 日本最古の全国的な戸籍「庚午年籍」を作成し、公地公民制が導入されるための基礎を築かれましたが、日本ではじめて水時計を作らせたことなどもよく知られています。
 また、 天智天皇は「万葉集」に四首の歌が伝わっていますが、「日本書紀」などにも歌が伝わっている、優れた歌人でもあられました。

 ある秋の日、天智天皇は草花が咲く御所の庭を歩かれていましたが、そこの草花にかかった夜露を見られて、「この夜露は農民たちも冷たく濡らしていることだろう…」とお思いになられ、この和歌を作られたと伝えられています。
 人々を思う優しい心が表れていて、百人一首の最初の和歌でもあり、よく知られている和歌のひとつです。
 結語の「つつ」は、いまだ尚袖が濡れていることを表していて、聞く人の心に余韻を残しています。

 ところで、この和歌の原型は、「万葉集」に収められている「秋田刈る 仮庵(かりいお)を作り 我が居れば 衣手寒く 露ぞおきにける」と言われています。
 「万葉集」では「読人知らず」になっていて、当時の農民たちが、民謡のように口ずさんだものだったと言われています。
 その後時代が下り、いつしか、民を思う理想的な指導者としての天智天皇の和歌として定着したのだとも言われています。


読み
 
あきのたの かりほのいほの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ

季節
 秋

現代意訳

 秋の田の側につくった仮小屋に泊まってみると、屋根をふいた苫の目があらいので、その隙間から忍びこむ冷たい夜露が、私の着物の袖をすっかりと濡らしてしまっているなぁ。

 ※かりほの庵 / 仮庵は、農作業のために、竹など作った粗末な小屋のこと
  これに「刈り穂」をかけている
 ※ 苫 / スゲやアシなどで編んだムシロ

 
※ あらみ / 「み」は形容詞にかかる体言化する言葉で、「粗いので」となる
 
※ 衣手 / 衣服の袖にあたる部分

出展
 「後撰集」